Eat the Rude.

NBC版ハンニバルを捏ねくりまわすよ

S2E12: Tome-wan パトロクロスの死を嘆くアキレウスだ

S2E12のラストシーンを飾るウィルとハンニバルの会話はギリシャ叙事詩イーリアス」が下敷きです。ここでハンニバルはニコライ・ゲーの「パトロクロスの死を嘆くアキレウス」を記憶から模写中。このシーン大好きなんだ。

HANNIBAL: Achilles Lamenting the Death of Patroclus. Whenever he is mentioned in the Iliad, Patroclus seems to be defined by his empathy.
ハンニバルパトロクロスの死を嘆くアキレウスだ。パトロクロスが『イーリアス』で描写されるとき、常に彼は共感によって定義されているように思う
WILL: He became Achilles on the field of war. He died for him there, wearing his armor.
ウィル:彼は戦場でアキレウスになった。彼はアキレウスの鎧を着て、アキレウスのために命を落とした
HANNIBAL: He did. Hiding and revealing identity is a constant theme throughout the Greek epics.
ハンニバル:そうだね。自分が何者であるかを隠し、明かすのはギリシア叙事詩を貫く普遍的なテーマだ
WILL: As are battle-tested friendships.
ウィル:戦場で試される友情もそうですね
HANNIBAL: Achilles wished all Greeks would die so that he and Patroclus could conquer Troy alone. Took divine intervention to bring them down.
ハンニバルアキレウスパトロクロスと2人だけでトロイアを制圧するため、全ギリシア人を滅ぼすことを望んだ。だが神の介入によってその夢は潰えた
- Will crosses to the fireplace, lit by its glow.
 ト書き:ウィル、暖かな光に照らされた暖炉に近づく
WILL: This isn't sustainable. We're going to get caught.
ウィル:こんなことは続かない。僕たちはまもなく捕まるはず
- Hannibal puts his pencil down.
 ト書き:ハンニバル、鉛筆を置く
HANNIBAL: Jack Crawford already suspects you killed Freddie Lounds.
ハンニバル:ジャック・クロフォードはきみがフレディ・ラウンズを殺したことを既に疑っている
WILL: If Jack told you he suspects me, it means he suspects you.
ウィル:ジャックがあなたに僕を疑ってると話したのなら、彼はあなたも疑ってることになる
HANNIBAL: I know.
ハンニバル:わかってる
- Will considers their options a moment, then:
 ト書き:ウィル、彼らに与えられた選択肢を考える
WILL: You should give him what he wants.
ウィル:彼が望むものを与えるべきだ
HANNIBAL: Give him the Chesapeake Ripper?
ハンニバル:彼にチェサピークの切り裂き魔を与える?
WILL: Allow him closure. Reveal yourself. You've taunted him long enough. Let him see you with clear eyes.
ウィル:彼に幕引きさせるんです。あなた自身の正体を明かして。もう十分嘲笑してきたでしょう?曇りがなくなった彼の目にあなたの姿を見せるんだ
HANNIBAL: Jack has become my friend. I suppose I owe him the truth.
ハンニバル:ジャックは私の友人になった。彼に真実を話す義務があるだろうね
- Hannibal allows that statement to sit, then picks up his pencil and continues sketching, Will in the background, illuminated by the light of the fire.
 ト書き:ハンニバル、そう言いながら鉛筆を拾い上げ、スケッチを続ける。背後には炎の明かりに照らされたウィル

このくだりとても情報量が多いので、順番を入れ替えつつ読んでいきます。

まずハンニバルは「パトロクロスイーリアスにおいて、常に共感によって定義されている」という。ハンニバルは異常な共感能力をもつウィルをパトロクロスと同一視します。ここ字幕ではなぜか「共感」じゃなくて「友情」になってるの、混乱を招くのでやめて...。Empathy(共感、感情移入)に「友情」の意味は薄いし、何よりS2E12の段階に至ってハンニバルがいまさら「友情」を蒸し返すはずがないからです。ハンニバルが最後にウィルに対する感情を「友情」と表現したのはS2E7 Yakimonoのラスト、ウィルが身なりを整えてハンニバルの診察室に現れ、セラピーを再開したとき。ウィルは「僕は変わってしまった。あなたが変えたんだ」と言い、ハンニバルは「かつて私たちの間にあった友情は終わった」と答えた。これ以降、ハンニバルは本当にただの1度もウィルを「友」と呼んでいません。2人の関係性を「友情」と言うこともない。あれだけベデリアさんに友人だ友情だとうわごとのように垂れ流してたのに、ハンニバルはS2E8からひたすらウィルに何らかの「愛」を表現し続けてる。

ウィルにとってハンニバルを釣る餌はまだ「友情」なので、彼はここで「戦場で試される友情」を差し出す。でもハンニバルは肯定しないんですね。この一連の会話でハンニバルがウィルの言葉に反応しないのはここだけです。あとは多かれ少なかれ、はぐらかさずに答えを返してる。

かったるいけどホメロスの一大叙事詩イーリアス』のアキレウスパトロクロスについてちょっとおさらい(そういえば映画「トロイ」てキング・アーサーと同じ2004年だったんだなあ)。アキレウスはアキレス腱で有名な、半神半人のトロイア戦争の英雄です。トロイア戦争ギリシア連合軍(アガメムノンアキレウスパトロクロス等) v.s. トロイア軍(プリアモスヘクトール・パリス等)で美女ヘレネを奪いあう神話ですが、ここでは美女はどうでもいい。アキレウスは命じられてトロイア戦争に駆り出される立場で、パトロクロスアキレウスの従者。親友とか従兄弟とかされてるけどまあ表向き2人は無二の親友です。神の加護があるアキレウスはめちゃくちゃ強いけど、総大将のアガメムノンへの反感から戦場を退き、かわりにパトロクロスアキレウスの鎧を着て出陣する。彼はトロイア軍の勢力を大幅に削ぐものの、さいごは敵の英雄ヘクトールによって討たれてしまう。このときパトロクロスは鎧を剥がれ、下腹部を刺し貫かれます。おや、ウィルと同じだね!

さすがにホメロスは書いてませんが(というか削られた説濃厚)、パトロクロスアキレウスの愛人だったことは後世の文献ではわりと常識です。だってギリシャだし。「トロイ」では逃げてたけど、パトロクロスが死んだときの狂気のような嘆き方はそのままなので「恋人が亡くなったんですねご愁傷様です」以外の感想がない。ウィルをパトロクロスに、自分をアキレウスになぞらえるのはハンニバルのいつもの超回りくどい愛の表現なので、本当にいい加減そろそろ気づいてやれよウィル...と思う。
そしてここで引っかかるのが、ハンニバルアキレウスが「トロイアを制圧する」ために「全ギリシア人を滅ぼす」ことを望んでいる、とハンニバルが言ったこと。全ギリシア人のくだりは字幕では省略されてるんですが、普通に考えるとギリシア軍であるアキレウスにとって、ギリシア人は味方です。味方を全滅させてどうすんだよ!と思ったけど、アキレウスパトロクロスと「2人だけ」でトロイアを制圧するために他の味方はすべて邪魔だと思っていた。...という恐ろしいハンニバルの解釈。なんという執着。そしてこの先に起こることの暗示。

ちなみにハンニバルが模写してたのは、19世紀の帝政ロシアで官製芸術に反発した「移動派」によって描かれた絵画です。

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何とか奪還したパトロクロスの亡骸にほぼ全裸ですがりつき、身も世もなく嘆き悲しむアキレウス。後ろに立ってる女性はアキレウスの母、女神テティス。息子が嘆きのあまり死んでしまうのではないかと心配してわざわざやってきたお母さん、一体どんなお気持ちで...。