Eat the Rude.

NBC版ハンニバルを捏ねくりまわすよ

S2E9: Shiizakana 愛しているよ、ウィル

表題は私の気がくるったわけではないのです。スクリプトでは確かにこう言ったの...!
S2E9の冒頭、ウィルがみた夢のシーン。木にロープで首ごと縛られたハンニバル、ロープの先には黒い牡鹿。ウィルが口笛を吹くと牡鹿がロープを引き、首と胴が締まっていく。
(※青字スクリプトにしかないセリフ・ト書きです)

HANNIBAL: Which answer is it you want to hear, Will?
ハンニバル:ウィル、どんな答えが聞きたい?
WILL: What’s happening now and about to happen is an answer. I want an admission. I want you to admit what you are.
ウィル:今起きていること、これから起きることが答えだ。僕がほしいのは自白です。あなたが何者なのか自白してほしい
HANNIBAL: Must I denounce myself as a monster while you still refuse to see the one growing inside you?
ハンニバル:きみが自分の中で育っているものを見ようとしないのに、私は自分を怪物だと告発しなくてはいけない?
 ※口笛の音、ロープが締まる※
 Why not appeal to my better nature?
 私の良心に訴えてはどうかな
WILL: I wasn't aware you had one.
ウィル:あなたに良心があったとは知らなかった
HANNIBAL: No one can be fully aware of another human being unless we love them. By that love we see potential in our beloved. Through that love, we allow our beloved to see their potential. Expressing that love, our beloved's potential comes true.
ハンニバル:愛さない限り、他者を完全に知ることはできない。愛を通してわれわれは愛する相手のなかに可能性を見る。愛を表現することで愛する相手の可能性を実現する
 ※口笛の音、ロープがさらに締まる※
HANNIBAL: I love you, Will.
ハンニバル:愛しているよ、ウィル
- VEINS bulge in Hannibal's forehead, but he doesn't cry out or protest. His eyes never waver from Will's.
 ト書き:ハンニバルの額には血管が浮かぶが、叫びも抗いもしない。彼の両目は決してウィルの両目から揺らがない
WILL: I once promised you a reckoning. Here it is.
ウィル:僕はかつてあなたに復讐を誓った。さあ、どうぞ
 ※口笛の音、ロープが締まり大量の血が飛び散る※

ちょ、ちょっと落ち着こう、いったん落ち着こう。ウィルの夢の中でハンニバルが「きみを愛しているよ、ウィル」と言った。...言った!タイミング的には黒せんと君になる前です。これを事件といわずして何というのか。どう捉えたらいいのこれ...。ぼうぜん。

とりあえず順番に片付けていこうね。ウィルがハンニバルに望むことは、怪物であると認め、本当の姿を明らかにすること。すなわち捕まること。これは自白のための脅迫で、本来殺すことは彼の復讐ではなかった。でも夢の中のハンニバルは自白よりも殺されることを選ぶ。「愛する者を殺させる」というこれまでのやり口を考えれば、ウィルにハンニバル自身を殺させることができれば彼の目的は一応達成される。あっ、でも待てよ殺されたのはハンニバルじゃない、黒せんと君(※スクリプトではウェンディゴ)だ。うー、ここちょっと保留にします。

...という前提で、ハンニバルの愛について。
「愛さない限り、他者を完全には知ることができない」。これはウィルが「あなたに良心があったとは知らなかった」と皮肉ったのに対して、「私について知らない部分があるのは、きみがまだ私を愛していないからだ」とハンニバルは言いたいんですね。ウィルがハンニバルを愛さない限り、ハンニバルを完全には知ることができないのだと。そして「私はきみを愛しているよ、ウィル(だから私はきみのことを完全に知っている)」。これにイラっときたウィルがダメ押しの口笛を吹いて、ハンニバルウェンディゴになって大量の血しぶき、という流れです。

ところで「愛さない限り、他者を完全には知ることができない」はハンニバルが言いそうにないセリフですが、たぶんこれフロム *1の『愛するということ』の引用じゃないかな。該当箇所をそのまま置いておきますね(下線は勝手にひきました)。

 “愛とは能動的に相手の中へと入っていくことであり、その結合によって相手の秘密を知りたいという欲望が満たされる。融合において、私はあなたを知り、私自身を知り、すべての人間を知る。愛こそが他の存在を知る唯一の方法である。
 ただし、普通の意味で“知る”わけではない。 命あるものを知るための唯一の方法、すなわち結合の体験によって知るのであって、考えて知るわけではないのだ。サディズムも、秘密を知りたいという欲望が動機になっているが、何も知ることはできない。相手の手足をバラバラに引きちぎったとしても、それはただの破壊でしかない。愛こそが他の存在を知る唯一の方法である。結合の行為の中で、知りたいという欲求は満たされる。愛の行為において、つまり自分自身を与え、相手のうちへと入ってゆく行為において、私は自分自身を、相手と自分の双方を、人間を、発見する。”

しかしあの回りくどく洗練された言い回し大好きなハンニバルが“I love you, Will.”とだけ言うの、迫るものがあります。ウィルがS3でベデリアさんに投げつけた“Is Hannibal in love with me?”との対比にも瞠目せずにおれない。
“I love you.”は親愛や友愛も含まれる、とても大きな愛。長い時間をかけて築かれる愛です。一方の“I'm in love with you.”は恋や性愛でしか使わない。家族や友人には言わないし、長年連れ添った夫婦もお互い言わない。夢中になる、いま恋に落ちた、という瞬間の火花のような表現。後者をわざわざベデリアさんに聞くウィルはなかなか怖い子で、自分が大きな愛でハンニバルに愛されてきたことはとっくに知っていて、その愛の種類が変わったかどうかを確認したかったのでは、という気がしてきた...。S3はまだ吹替えで1回しか見てないからわかんないけど...。

*1:そういえばエーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』でナチズムの心理を詳しく分析した人。彼は人間に示された最後の希望として「生命への愛」を挙げています。マシューに殺されそうになったとき「命は尊い」と言ったハンニバルを思わせる。フロムはサディズムネクロフィリアは人間に生まれつき備わったものではない、最悪な環境や条件をよいものへ置き換えることができれば、それらをなくすことができる、と言い切った楽観的な哲学者/精神分析家でもあります。カニバリズムサディズムネクロフィリアに並ぶ概念だと思いますが、この考え方はフランクルの「異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動である」ととても近い。若い頃に外科から精神医学に転向しようとしたハンニバルならもちろんフロムは読んだはず。そして若い頃のハンニバルならフロムの哲学を鼻で笑ったはずです。でも彼の記憶の宮殿にはあの美しい愛についての言葉たちが置いてあった。