Eat the Rude.

NBC版ハンニバルを捏ねくりまわすよ

S2E8: Su-zakana 私がすぐ傍らに立っている

初見時はこのあたりから本格的に迷子になったんですが、なんで読みまちがったかわかってきたぞ。シーズン2後半以降、字幕はわかりやすさを重視して特殊な用語を端折ったり意訳したりしてくれてる。いいことなんですが、このドラマの制作側は視聴者にもっと深く理解してほしい、理解できるはずと思って特殊な用語を仕込んでいるので、そこで読みに無理が生じてくる。このドラマを骨の髄までしゃぶろうと思ったら、やっぱり補助線が必要です。そうなるとメインが解釈になってくるんだけど、対訳目当ての方には本当にもうしわけない...。飛ばしてください...。

まずはピーターの厩舎に向かうウィルとハンニバル。夜の雪道走るベントレーかっこええ!(※青字スクリプトにしかないセリフ・ト書きです)

- Hannibal drives along a dark country road, Will in the passenger seat beside him. Hannibal looks at Will, his eyes fixed ahead.
 ト書き:ハンニバル、暗い田舎道を運転している。ウィルは彼の隣の助手席に。ハンニバルはウィルを見ているが、ウィルの視線は前方に固定されている
HANNIBAL: You look like a man who has suffered an irrevocable loss.
ハンニバル:取り返しのつかないものを失ったような顔をしてるね
WILL: I'm trying to prevent one.
ウィル:失わないようにしたいんです
HANNIBAL: Do you think if you save Peter Bernardone, you can save yourself?
ハンニバル:もしピーターを救えたら、自分自身を救えると思う?
WILL: Save myself from what, Dr. Lecter?
ウィル:何から自分を救うんです、レクター博士
HANNIBAL: From who you perceive me to be.
ハンニバル:きみが考える私から
WILL: I'm afraid I need to be saved from who you perceive me to be.
ウィル:あなたが考える僕から救われる必要があると思うな、残念だけど
HANNIBAL: Every time you think about it, it stings, doesn't it? Wondering if I could be right about you. Many troublesome behaviors strike when we/you are uncertain of our/yourselves. Peter Bernardone lies in the same darkness that holds you.
ハンニバルそう考えるたびに操られてる気分になるだろう?きみに関しては私が正しいのではと思うよ。きみは自分に確信が持てないとき、問題行動を起こす。ピーターはきみが抱える暗闇と同じ場所にいる
WILL: I'm alone in that darkness.
ウィル:僕はその暗闇に1人でいる
HANNIBAL: You're not alone, Will. I'm standing right beside you. Does Peter Bernardone fantasize about killing the way you do?
ハンニバル:きみは1人じゃない、ウィル。私がすぐ傍らに立っている。ピーターはきみが再構築した方法で殺害を空想している?
WILL: He's not a killer.
ウィル:彼は殺人犯じゃありませんよ
HANNIBAL: Given extreme enough circumstances, we can all behave like psychopaths.
ハンニバル:極限状況を与えられれば、私たちは皆サイコパスのように振舞うようになる

ここでハンニバルが「暗闇で佇むきみの隣に私もいる」というの、初見の吹替え時は「これまでずっと"自分は明るい場所にいる"と偽り続けてきたのにいいの!?」ってなったけど、前回のセラピーで嘘をつかない契約を交わしたからなんですね。これはウィルを騙すためとかではなく、ハンニバルの本心なんだ。つらい...博士つらい...。
で、スクリプトから後半ばっさり削られたハンニバルのセリフ、本来は次のピーターとの会話につなげるために用意されてたもの。本筋とは関係ないけどハンニバルの来歴を解釈するためにとても大事なので。

PETER: I used to have..., I used to have a horrible fear of... of hurting anything. But, he helped me get over that. Feels so abnormal.
ピーター:僕はずっと...ずっと何かを傷つけることがひどく怖かった。でも彼は僕にその恐怖を克服させてしまった。とても異常だと思う
HANNIBAL: An abnormal reaction to an abnormal situation is normal behavior.
ハンニバル:異常な状況に対する異常な反応は正常な行動だよ

「異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動である」は、アウシュビッツ強制収容所を経験し、生き延びたV.E.フランクルが書いた『夜と霧』の有名なことば。NBCハンニバルは時代設定が違うのでハンニバル・ライジングの設定がどこまで通用するか判断が難しいのですが、カットされた車中の会話「極限状況を与えられれば、私たちは皆サイコパスのように振舞う」と呼応しています。西欧の文脈で極限状況とはすなわちアウシュビッツホロコーストのこと。ハンニバルはここで幼少期に極限状況を経験した自身のことを2度口にしている。暗示的ではあるにせよ、このことをウィルに素直に告げたハンニバルは今ほんとに剥き出しなんだと思う。
ホロコースト=極限状況を生き延びてしまった人、たとえばプリモ・レーヴィは「大量殺戮は神による罰だ」と主張する宗教家に反発してこう言う。「ちがう。わたしはこれを認めない。無意味であるということこそが、大量殺戮をいっそう恐ろしいものにしているのだ」。人間が犯した罪に対して下された神罰なら、まだ救いがある。そこに「意味」があるから。救いがないのは、ただ偶然に、無意味に自分の身に悲劇が降りかかることです。「なぜ私だけがこんな酷い目に?」という問いに「なぜなら君が過ちを犯したからだ」と神が答えるのは、救いである。でも賛美歌を歌う信者の上に教会の屋根を落とす神の行為には意味も救いもない。
神に対するハンニバルの強い感情もおそらくここに起因すると思うのです。幼少期に飢餓状態で妹を殺され喰われ、それと知らず自分も喰わされてなお生き残ってしまったハンニバルは「アウシュビッツの残りのもの」であり、「底に触れた者」である。彼は自分が選ばれてしまったことに「意味がなく」、「ただ偶然自分だった」ことから免れようとして怪物になった。無意味を有意味に、無価値を有価値に、偶然を必然に変えるために。この偶然を必然に、というところがとても大事なんですがもうちょっと後で補助線がふえてくるのでここまで。
...もうこれ萌えとか関係ないな、ダメだな...。